PR

父が肺がん手術からやっと5年元気の印をもらえた

日常
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

父は5年前肺がんだと診断されました

始まりは5年前、深夜仕事中だった私に電話がかかってきました

「体調が悪くて仕事にならないから帰りなさいと言われた」と

当時父は警備員の仕事をしていました

胃のあたりがずっと痛く、我慢ばかりする父でしたがさすがに耐え切れなったそうです

歳のせいもありますが「俺に何かあったらお母さんを頼むよ」なんて、いつも強気でわがままなことしか言わない父が、迎えにいった車の中で言ってるんです

まぁそこが面白いところなんですが、言うことがいつも子供みたいなんですよね

その日はもう深夜だったので、次の日、市立の大きい病院へ行きました

当日に細かい結果は分からないけど「胃潰瘍」でしょうと医者から一言

ただ、気になることがある

父は元々痩せ型なんですが、医者から言うと痩せ方が気になるとのこと

まぁ食も細くなってきたし言っても食べないし歳のせいでは?とも思いましたが仕方がないので、また別の日に予約を取って検査に行きました

お酒は一滴も飲まないがヘビースモーカーだったんですね

ガンにならない方がおかしいくらいだと言われるほどでした

レントゲンなど様々な部位を何日かに分けて検査して、父の「病院は俺をモルモットにしているんだ」なんて会話を何回したでしょうか

だいたい胃潰瘍から2〜3週間くらいの検査結果の日だったと思います

肺炎ぽい影や白っぽい影があるが、何なのかはハッキリ分からないそうで、そこの病院では検査に限度があるので専門に診てもらえるがんセンターを紹介しますのでそこで検査を受けてみてくださいとのこと

そして、紹介されたがんセンターへ行くのですが、その日も朝から知らないだの行かないだの駄々をこねるジーさんでした

そして検査を受けた数日後

母と3人で診察室に呼ばれる前に「なんともなかったらいいね」なんて話をしていた数分後

「右の肺に癌が見つかりました」

さすがにそれを聞いた直後は少しショックでした

父も母も少なからずショックを受けていたかと思います

ただ、我が家の良い所は『物事をあまりマイナスに受け止めない』という習性といいますか落ち込むという事がほぼありません

今後どうしていくか話をしていても、放射治療や抗がん剤治療はしない!と頑なに言っていた父です

なるようにしかならない、といっては肺切除手術にも抵抗はあったようですがその方向でいくと決めました

そしてまた、朝からそんなの知らんだの行かないだの駄々をこねるジーさんでしたが

すぐに入院や手術やらの話を進めていき、だいたい3週間くらいの間にキッパリ喫煙は止める事!と念を押されました

そうなんです、父は検査結果が出てがんセンターで医者に言われるまで喫煙を続けていたんですね

そんな父も今は全く受け付けない位になりましたけどね

手術を受けた時にすでにやめていないと痰がからんで、とても苦しいそうなんです

なので、絶対に辞めないと本当に先はないよと言われていました

そして、また「医者は俺をモルモットにしている」と何回も聞いた頃、入院・手術の日程が決まりました

右肺の上1/3〜半分近く切除する腹腔鏡手術となりました

ちょうど腕を上げた右脇に穴を開けて切除する手術だそうです

入院までに、変な筒状?のもので呼吸の練習?みたいなのをするんですが、一緒にいないとすぐサボるんですよね

普段大口を叩くクセに入院前日になると弱音吐いてるんですよね…

まぁいつものことでしたが、やはり不安だったんでしょうね

兄弟が他に二人いるので手術当日は来てもらい家族4人で見守り?ました

確か3時間もかからないでしょうと言われてましたが、思ったより時間が押していました

手術室に入る前の弱ってる(気持ちが)父の背中を見送りながら3時間以上経った頃、ちょっと疲れたので姉と待合室を出て少しした頃、なんと終わったそうなんです

術後、家族が呼び出され切り取った部分を見せ話をするらしいのですが、なんと姉と私はそこに行きそびれたんです!

近くにいるんだから呼べよ!とか思いましたが仕方ありません

待合室に戻った私たちは「あれ?いない」と思い再び部屋を出たら母たちが丁度別の部屋から出て来たではありませんか

後から、他の画像でこんな感じだったよとか言われましたけど…

そして、手術を終えた父の元へみんなで向かいましたが、術後で麻酔も切れてきたばかりだったせいか、父は

「いつもありがとうございます」

なんて訳のわからないことを言っていました(本人も覚えていないそうです)

あげ続けていた腕と傷口が痛むみたいで、かなり弱っていましたが、時間が経つにつれ少しずついつもの父に戻ってきました

数時間でしょうか、手術の疲れからよく寝ていた父でしたが起きるなり「もう帰っていいよ」なんていい出したんです

弱ってる自分を見られたくないのか、寂しさから言っているのか

でも、時間もありましたのでその日は帰ることになりました

そこから、入院中は毎日母と私でお見舞いに行きました

徐々に回復してきた父は普段の父に戻ってきました

相変わらず呼吸の?はサボってましたが傷の痛みには敵わないそうです

肌が突っ張る感じで痛い、本当に大丈夫なのか?なんていつもの口調が出てきたので大丈夫そうですね

傷の様子も体調も問題なさそうですね、ということで退院

どのくらいの期間だったでしょうか、5年前なので忘れてしまいました

そこから、1ヶ月に1度、3ヶ月に1度、半年に1度など徐々に術後の検査の間隔があいてきました

検査は毎回、「血液検査」と「レントゲンかMRI」を受けて診察

1年に一度「PET検査」という放射液を体内に注入して細かく切断された断面を映す検査があります

そのPET検査は微量の放射線が発生しているので、乳児や妊婦さんには近づいたり、人の多い所には行かず真っ直ぐ帰ってくださいねと言われます

ちょうど手術から1年後位に、下の子がお腹に宿ったのでPET検査の時だけは旦那にお願いしていました

それ以外にも泌尿器科に通ったりと、とにかく通院は多かったですね

相変わらず「行く必要ない」だの何だのよく言ってますが…

上の子もよく一緒に病院へ行ったり、下の子が産まれる頃にも、「孫の顔見る為にも長生きしないとなぁ〜」なんてツンデレですよね

この5年間毎年何回も検査に通っては、怪しい影が見つかったりもした事もありましたが、今の所再発と言えるものは見つかりませんでした

ただ、歳のせいもあるのか手術のせいもあるのか、やはり体力や筋力に衰えが見受けられ仕事を続けるのは困難、ということから仕事は止む無く退職となりました

そして、術後何年からか少しずつボケや物忘れが目に余るようになりました

そこで、同じがんセンター内の脳神経外科の方でも検査を受けましたが、

なんとここで、脳に腫瘍が見つかったのです

ただ、場所的にも影響のある場所ではないので、様子見で大丈夫と言われたので検査を受けていますが大きくなる度合いやスピードなども今の所問題ないそうです

そして、ボケっぽいものは腫瘍の影響ではなくただの歳のせいだそうです(笑)

こればっかりは仕方ないですよね

そして4月17日の診察日

いつも通り、血液検査などを受けて診察までの間軽くご飯を食べてきました

予約時間を少し過ぎた頃呼ばれます

いつも通り検査結果を聞き「今回も問題なかったんだな」と話が終わる頃

「手術からちょうど5年が経ちます」と言われました

そういえば、もうそんなに経ったんだと

そして、医者から言えば5年間再発の様子や何事もなければ、治ったといってもいい

というような事を言われました

一瞬考えましたが…

再発の可能性もほぼ無く元気になりましたね、という事でした

短いようで長かった5年間、いや長かったようであっという間でした

完全に検査がなくなる、というわけではありませんが今回の検査で一応、医者から

「元気印」のスタンプをもらえました

まだまだ元気な顔の父と一緒に笑顔でいたいです

日常
スポンサーリンク
saekichiをフォローする
スポンサーリンク
saekichi

2児の母であるコロナで撃沈中のタクシー運転手。
バスケットや野球、水泳などをやってきたスポーツ好き。
筋トレや身体の使い方、栄養など子供の成長や大人の魅力アップに繋がることをもっと学びたいと思っています。
たまに絵も描いてます。

saekichiをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました